海洋基本計画(原案)に対する意見
日本水産学会 政策委員会委員長 黒倉寿
平成20年2月25日
はじめに
先般、総合海洋政策本部事務局より、海洋基本計画(原案)のご提示をいただきました。短期間の間に広く意見を聴取し本提案をとりまとめられた総合海洋政策本部のご尽力に深甚なる敬意を表します。
様々な海洋利用活動が輻輳している中で、海洋を管理する立場からの明確な姿勢を持って、産学官が相互に連携協力し、海洋政策を推進することは極めて重要な課題であるという(原案)のご認識につきましては、代表的な海洋産業の一つである水産業にかかわる学術団体である日本水産学会もまったく同様に現状を認識しており、このような指針が今回「海洋基本計画」として策定されることは大いに歓迎することから海洋基本計画の策定に対して提言をさせていただきました。
つきましては、平成20年2月4日にございましたパブリックコメントの募集に応じ、海洋基本計画の更なるブラッシュアップに貢献すべく、(原案)に対しまして、日本水産学会水産政策委員会として意見を取りまとめましたので、パブリックコメントとして送付申し上げます。よろしく、御取り計らい願います。
I.総論について
計画策定の前提となる認識を示した総論の(1)項において、地球科学的、歴史的視点に立って、計画のあるべき方向性を示したこと、とりわけ、「リオ宣言」および「アジェンダ21」によって世界の共通認識となった「持続可能な開発」に言及し、本計画作成の基本的な理念が、環境と調和した持続的な開発にあることを明瞭に示したことを高く評価する。しかしながら、本項は、地球環境に対する海洋のかかわりを強調することにとどまり、食料生産、景観、文化等にかかわる海洋のかかわりに関しては、比較的主張が弱い。こうした人間生活にかかわる海洋の機能、すなわち、生態系サービスを全体として強調することが望ましい。
こうしたあるべき方向性に対して我が国の海洋政策の推進体制を論じた(2)項においては、従来のわが国の海洋政策が利用の視点のみに立った政策であり、海洋「場」を管理するという視点からの政策がなかったという真摯な反省に立ち、海洋が生態系サービスを含めた多面的な機能をもち、さまざまな介在活動が輻輳する「場」であること、したがって、「場」の持つ容量を考慮して、管理・利用の政策を立案・決定していくことが不可欠であることを述べたことも、水圏生態系の持続的な利用のあり方を考える科学である水産学の立場からも大いに支持できる内容である。しかしながら、誤読を避けるために、場の管理の在り方については、さらに詳細な記述が必要であると考える。すなわち、具体的な政策内容の決定に関しては、行政府がトップダウンで当事者間の資源配分を決定することが最善の策とはならない可能性について留意しなければならない。(原案)においては、第一部5.「海洋の総合管理」12ページ18行から22行に同様の記述がなされている。このような認識は、海洋基本計画の原則的な考え方であるべきであり、総論において明確に述べられるべき内容であるものと考える。たとえば、環境経済学では、共有地においては、当事者同士の交渉により生まれる資源配分が経済的効率上も優れているという、いわゆる「コースの定理」という考え方がある。我が国の水産分野においても、沿岸域の資源利用を巡る利用者間の紛争について、江戸時代から現代に至るまで、当事者間の話し合いで調整がなされている。このようなボトムアップ型の調整により、衡平な解決策が見出されるとともに、当事者同士が約束を遵守するインセンティブが生まれやすくなる利点は頻繁に指摘されている。調整の在り方に関する記述の加筆を望みたい。
(3)項においては、資源利用にかかわる国際的な衡平の実現のために、国際的・先導的貢献を果たすべきことが述べられている。その見識を高く評価するとともに、前項で述べた、我が国の漁業制度のもつ先駆性(ボトムアップ型の調整による衡平の達成)と経験を生かす形で、世界に貢献すべきことを強調することを提案する。
目標1においては、我が国が海洋に関する全人類的課題の解決に積極的貢献をなすべきことが述べられている。この目標もまた妥当なものと評価できるが、その理由として、我が国の技術的・経済的優位性のみをあげているのは不十分である。海洋の適正な管理・利用は、科学技術・経済のみによって達成されるものではなく、文化・思想的な相互理解を前提として制度設計がなされるものであることを考えるならば、我が国が高度に海面を利用してきたという歴史的・文化的蓄積も極めて重要な要素であり、海面の利用特に漁業等における経験の蓄積についてもここに記述されるべきものと考える。
目標2においては、海洋資源や空間利用に向けた基礎づくりをすべきことが述べられている。ここに述べられたように制度的な整備が必要であることは間違いない.しかし、開発に伴う環境保全対策や他産業への影響等も考慮すると、開発のための直接のコストに加えて、これらのコストをどのように負担するかを制度整備の中に含めて考慮していかなくてはならないことを明記すべきである。
目標3においては、国民生活の安全・安心の実現のために、海運の安全の確保の必要が述べられている。確かに、海運は国民生活・経済活動を支える重要な機能を持っている。しかしながら、その反面、バラスト水や船底付着生物による生物多様性の撹乱や、環境汚染の原因にもなっている。海運に限らず、陸上運送、航空をふくめて、人や物の移動に伴う環境負荷・環境撹乱の問題は、現代・未来社会の重要な課題であり、反面、工学・生物学・経済学の英知を結集してその解決にあたることによって、新たなビジネスチャンスも生まれる。安心・安全の国民生活に関しては、産業の発達に伴う負の影響の解決に貢献することも重要であり、目標の事例として取り上げるべきものと考える。
II.第1部「海洋に関する施策についての基本的な方針」について
「3.科学的知見の充実」において、人文・社会科学も含めて多岐にわたる研究領域の集積の必要性が述べられたことについて、その見識の高さを評価するとともに、総論・目標2においてコストの問題に言及することと呼応する形で、「環境経済学・資源経済学等の人文・社会科学」のように具体的な内容を例示することによって、より明確に研究の方向性を示すことを提案する。
すでに述べたように、「5.海洋の総合管理」の項において、海洋利用が複数の利用者による立体的な利用であることに言及し、当事者間の話し合いによる調整に必要に言及したことは、極めて高く評価できる。さらに、これにかかわる記述を総論にも加えて、その必要をより強調することを期待する。
III.「第2部 海洋に関する施策に関し、政府が総合的かつ計画的に講ずべき施策」について
「1.(1)水産資源の保存管理」において、生物の多様性と生物生産の維持管理に関して、「里海」の考え方の具現化が必要であることが述べられている。この考え方には全面的に賛成できるが、「里海」は「里山」に対応する造語であり、一般にはまだ定着していない言葉であることから、「地域社会が共有財産として、海の環境・生態系を保全し利用していくという「里海」の考え方」のように、より説明的・具体的に記載することが望ましい。
「2.(1)生物多様性確保等のための取組」において、藻場・干潟・サンゴ礁の重要性が述べられ、保護区の充実が述べられているが、海洋環境および生態系の連続性を考えると、こうしたパッチ上の保全策に加えて、それ以外の海域においても適切な保全策が講じられることに必要性についても言及する必要がある。
「2.(2)環境負荷低減のための取り組み」において、開発に伴う海洋環境、生物多様性への影響への配慮が記されたことを高く評価するが、ここに記された技術的な解決に加えて、「場」の容量の視点から、陸上産業や生活に対して、過度の集中に対する警告を発していくことの重要性についてもこの項で言及されることが望ましい。
「3.(2)ア 水産資源」に述べられている増殖、企業化に加えて、それらの前提として資源経済学的研究の充実の必要をのべる必要がある。
「4.(4)海洋輸送の質の向上」の項に、タンカー座礁等による油汚染対策を加える必要がある。
「6.(1)海洋調査の着実な実施」の項では、「海洋調査計画の調整、調査結果の共有及び海洋調査船や観測機器の共同利用」に関して、「大学、地方公共団体、民間企業等の協力が得られるよう努める」ことが謳われている。しかし、海洋調査そのものの実施については、「政府機関等」すなわち、国の関連機関等の役割に言及されているのみであり、地方公共団体等の役割は不明確である。従来、我が国周辺の沿岸・沖合域において、海洋環境・水産生物に関する最も詳細で密度の高い調査を継続的に行い資料を蓄積してきたのは、各地の都道府県水産試験場等である。しかしながら近年は、地方の財政難や燃油高騰のため、そのような継続的な調査の測点数が減らされ調査規模が縮小される等、我が国周辺海域の海洋調査の継続にとってきわめて憂慮される事態が出現しつつある。したがってこの項では、「海洋調査の着実な実施」のために、地方公共団体等の役割を具体的に明記し、水産試験場等の調査研究の充実と各機関の協力関係の構築の必要性に言及することが望ましい。
また同様に、「6.(3)研究基盤の整備」の「ア 船舶・設備等の研究基盤の充実」の項や「2.(3)海洋環境保全のための継続的な調査・研究の推進」の項においても、「国、独立行政法人等」「政府機関等」だけでなく、大学や地方公共団体等についても言及されることが望ましい。
「7.(1)基礎研究の推進」の項に、大学等の研究機関に加えて、水産試験場等の調査によるデーターの充実を加えることが望まれる。
「11.(3)ア水産資源」において、途上国における水産業の開発、振興、資源管理に関する国際協力の必要性を記述したことを、我が国の海洋関係における国際貢献の評価を高めるという視点から強く支持するとともに、水産無償協力の充実とより具体的に記述することを提案する。
おわりに
当会といたしましても、関係者の円滑な調整を側面から支援する意味で、海洋が有する漁業資源的な価値だけでなく、生態系サービスの価値などにも注目しながら、これらの評価に関する研究なども活性化させたいと考えております。今後とも、海洋基本計画の目標達成に向けて協力を行っていく所存であります。当会が参加可能なプロジェクト等がありましたら、是非お声をおかけいただけますようお願い申し上げます。
海洋基本計画(原案)に対する意見募集のお知らせ
内閣官房総合海洋政策本部事務局より海洋基本計画(原案)に対する意見(パブリックコメント)が募集されています。(締切 平成20年2月25日15時まで)
海洋基本計画の原案(PDF)
詳細につきましては、首相官邸HP上にあります、総合海洋政策本部の「海洋基本計画(原案)に対する意見の募集について(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kaiyou/index.html)」を御参照下さい。