平成22年度日本水産学会各賞受賞者の選考結果について

学会賞担当理事 岡本信明

 秋季大会期間中の9月22日に開催した学会賞選考委員会において各賞受賞候補者の選考を行い、平成22年度第6回理事会(12月18日)において受賞者を決定した。
 総評および各賞の選考経緯、ならびに受賞者、受賞業績題目および受賞理由は以下のとおりである。今後の学会賞推薦に際して参考となれば幸いである。

総評
 平成22年度は日本水産学会賞1件、日本水産学会功績賞2件、水産学進歩賞9件、水産学奨励賞7件、および水産学技術賞6件の推薦があった。推薦業績内容については漁業・資源関係3件、水産生物・増養殖関係10件、環境関係1件、および水産化学関係9件で、この中で水産生物・増養殖関係は水産学進歩賞と水産学奨励賞で多く、水産化学関係は水産学進歩賞と水産学技術賞で多い傾向が見られた。いずれも水産学が直面している課題に真摯に取り組んだ研究の結果としての優れた業績に基づいており、高く評価されるものであった。
 選考に際しては「学会賞選考規定」ならびに「学会賞選考委員会学会賞選考方法の申し合わせ」に基づき、推薦理由・推薦対象業績などに関する事前調査を入念に行うなど、適切な結果が得られるように最善を尽くした。本選考結果が受賞者のさらなる研究進展の契機となるとともに水産学の一層の発展に寄与することを願うしだいである。
 なお、今回選考されるに至らなかったものの中にも優れた研究業績を含んでいると判断されるものも多数あったこと、推薦された業績内容の一部が賞間で重複しているケースが一部に見られたこと、および日本水産学会賞では推薦件数が授賞可能数を下回った点は残念であったことを付記する。

日本水産学会賞
選考経緯:授賞可能数2件に対して1件の推薦があり、投票により投票総数の過半数を得た本1件を選考した。「ウナギの完全養殖」に成功するに至った研究と技術力は卓越しており、水産学の発展に大いに寄与したものとして高く評価された。

日本水産学功績賞
選考経緯:授賞可能数2件に対して2件の推薦があり、2名連記の投票により投票総数の過半数を得た本2件を選考した。それぞれ「水産分野における環境化学物質」と「麻痺性貝毒」に関する長年の研究から得られた卓越した業績が高く評価された。

水産学進歩賞
選考経緯:授賞可能数4件に対して9件の推薦があった。4名連記の投票で投票総数の過半数を得た3件を、まず選考した。次いで、他6件のうち過半数に僅かに満たなかった2件について2名連記の再投票を行った。その結果、2件とも投票総数の過半数を得たので、「学会賞選考委員会選考申し合わせ」に従って、この2件を追加選考した。

水産学奨励賞
選考経緯:授賞可能数4件に対して7件の推薦があった。4名連記の投票で4件が投票総数の過半数を得た。そこで、この4件を選考した。

水産学技術賞
選考経緯:授賞可能数3件に対して6件の推薦があった。3名連記の投票で投票総数の過半数を得たものが4件あった。そこで、「学会賞選考委員会選考申し合わせ」に従って、授賞可能数の制限超過を可とし、過半数を得た計4件を選考した。


各賞受賞者と受賞理由

日本水産学会賞
田中秀樹氏「ウナギの人工種苗生産に関する研究」
 受賞理由はウナギの完全養殖の成功である。ウナギの完全養殖の成功はわが国の水産研究の卓越した水準を示すものである。完全養殖は、催熟、孵化仔魚の管理、初期餌料、水質管理、疾病防除等々、様々な技術の総合によって初めて可能になるものであり、様々な技術者の協力のもとにこれを成しえた。こうした技術の総合は、卓越した人間性と忍耐力に富む卓越したリーダーの存在によって初めて可能になる。1980年代後半から始められた田中氏のウナギ完全養殖への挑戦は、忍耐力と協調性を必要とする長い道のりであった。プロジェクトの成功とともに、氏の卓越したリーダーシップが評価された。

日本水産学会賞功績賞
川合真一郎氏「水環境中における環境化学物質の挙動と生態影響」
 川合氏は長年にわたり水生生物への合成化学物質の蓄積、水中細菌による化学物質の分解、水中のエストロゲン様物質の検索等に取り組み、水産分野における環境化学物質研究を主導してきた。氏の研究成果は学術的に高く評価されるだけでなく、カビ臭分解菌の単離に成功して生物活性炭処理の有効性を証明するとともに、生物膜が下水処理場におけるエストロゲン様物質の除去に有効であることなど、水処理技術や水環境の保全に大きく寄与している。また、シンポジウムの企画、講演や著書等を通して社会への啓蒙を進めるとともに人材育成に努めるなど、水産環境教育への功績が著しいことも評価された。
児玉正昭氏「魚貝類の自然毒とくに麻痺性貝毒の代謝に関する一連の研究」
 魚貝類には毒を含むものが多く存在する。これら自然毒のうち、児玉氏は水産上ならびに公衆衛生上多くの問題を世界各地で引き起こしている麻痺性貝毒に関して、二枚貝体内における毒の蓄積や代謝の機構、有毒渦鞭毛藻の体内から単離した細菌の毒生産性への関与などについて生化学的研究を進め、毒生産機構に関する先駆的発見など多くの研究業績を挙げた。さらには麻痺性貝毒が生体分子と化学的に結合することを初めて見出し、この発見を契機として特異抗体を用いる麻痺性貝毒の鋭敏な簡易定量法の開発へと発展させた。このように本受賞者は世界の麻痺性貝毒研究を先導してきており、水産学への貢献が大きいことが評価された。

水産学進歩賞
吾妻行雄氏 「海藻群落におけるウニ類の個体群動態に関する生態学的研究」
 ウニ類は沿岸岩礁生態系の海藻群落の基礎生産力に依存する主要な一次消費者であり、沿岸漁業における重要な生物資源でもある。ウニ類の生態的研究については、これまで理学的な観点からのものは断片的にはあったが、水産学的な観点からの総合的な研究は少なかった。吾妻氏は、ウニ類の成長制御要因を解明するとともに、索餌活動と海藻群落の遷移に関する調査研究を実施し、バフンウニが地球温暖化の進行に伴う沿岸岩礁域の群集構造の変化を探る重要な鍵種になることなど、資源管理および漁場保全に関わる多くの新知見を示した。これらの成果は藻場の保全やウニ類資源の管理に貢献するものとして評価される。
井口恵一朗「アユの生態学的研究」
 井口氏は、これまで一貫してアユの生態学に関わり、生活史、分子生物学、個体群生態学から生態系生態学に関する数多くの研究を行い、この分野の発展に多大な功績を修めた。特に、アユのなわばり形成が個体群密度依存効果に起因すること、琵琶湖産アユの人工孵化放流が自然再生産の野生魚に病気の伝搬および遺伝的多様性の低下を誘因することを明らかにした点は高く評価される。本州の河川生態系ではアユがキーストン種として位置づけられることから、生態系をベースとする資源管理の重要性を提言している。受賞者のこれら一連の研究は、アユを通して内水面水産業における生態系保全型増殖研究の体系化に貢献しており、今後の発展が期待される。
太田博巳「魚介類の良質精子作出・保存法の開発に関する研究」
 精子は卵子と比べるとあまり注目されない生殖細胞である。我が国においても魚類精子の研究者は数少ない。その中にあって、太田氏は早くから魚類精子の凍結保存技術の開発や、運動能力獲得メカニズムの解明などに一貫して取り組み、多くの成果を挙げてきた。とりわけ、ウナギの催熟に伴う精子の運動能獲得メカニズムの研究は、ウナギの種苗生産技術開発の一部をなす技術として重要である。また、最近では、アコヤガイの精子の凍結保存法を開発し、この技術を育種に応用することを試みており、今後の成果も期待される。
鈴木 徹氏「異体類の左右非対称性形成と稚魚発生機構に関する研究」
 鈴木氏は稚魚の発生機構、特に異体類の非対称性形成の制御機構に関して、世界が注目する優れた研究を展開した。すなわち、魚類の胚発生期に共通して発現し、内臓と間脳の左右非対称性を制御するノダル経路が、異体類では固有な現象として変態初期にも再発現し、前脳の非対象性を介して眼位を制御することを証明した。また眼位異常はノダル経路の抑制が原因であることも明らかにした。これら一連の成果は、発生生物学の基礎研究を深化させたのみならず、異体類種苗生産の形態異常の根本的な原因究明を通して、水産業への応用にも貢献するものである。
永井宏史氏「刺胞動物の刺傷原因タンパク質毒素に関する化学的研究」
 水圏の刺胞動物がもつタンパク質毒素については、その存在は知られていたものの毒の本体や作用機構は長い間不明であった。その理由は極めて不安定であるために活性を保持した状態で精製毒を得ることができないことにあった。永井氏はこの難題に果敢に取り組み、毒の不安定性要因を突き止め、世界に先駆けて立方クラゲ類、イソギンチャク類およびサンゴ類など種々刺胞動物のタンパク質毒素を精製することに成功し、その分子構造や作用機構などに関して数多くの新知見を示した。本研究成果は学術上だけでなく、特異的抗血清による治療法の開発など公衆衛生上も重要で、水産学の発展に寄与するものである。

水産学奨励賞
足立亨介氏「水産物の黒色変化に関する生化学的解析」
 色調が重要な品質要因となるエビやマダイでは、メラニン色素による黒変は品質を損なうが、メカニズムには不明な点が多く、確実な防止法が切望されている。足立氏はエビとマダイのメラニン蓄積機構に関する研究を精力的に行う中で、フェノール酸化酵素のみならず呼吸色素ヘモシアニン様の因子もエビ黒変に深く関与することを初めて見出すとともに、魚類に蓄積されるメラニンの化学的定量に取り組み、化学形態の異なるメラニンの分布を明らかにする等の成果を挙げた。本受賞者の一連の業績は、これら外観を重視する水産物の品質保持メカニズム解明に重要な知見を与えるとともに、基礎生物学的な意義からも評価される。
芳賀 穣氏「ヒラメ人工種苗の形態異常の防除に向けた脂溶性ビタミン過剰モデルの構築に関する研究」
 芳賀氏は、ヒラメの人工種苗において、ビタミンA過剰が引き起こす骨格異常と色素異常に着目し、これを形態異常のモデル系として構築した。すなわち、種々の発育ステージのヒラメを実験的にビタミンA過剰とすることにより、個々の形態異常が発生するステージを解明するとともに、生物餌料に栄養強化されたビタミンAから代謝されたレチノイン酸が形態異常を引き起こすことを明らかにした。さらに、ワムシの栄養強化剤中に含まれるビタミンA類の形態異常に対するリスクについて実証した。これらの一連の研究は、ヒラメ人工種苗に起こる形態異常の原因究明と防除方法の開発に貢献するものである。
安間洋樹氏 「中深層性魚類マイクロネクトンの音響計測に関する研究」
 ハダカイワシ類は外洋の主要なマイクロネクトンとして海洋生態系で重要な地位を占める。安間氏は、計量魚群探知機を用いてその分布や現存量を評価する際に必要となるターゲットストレングス(TS)について、採集したハダカイワシ類標本を用いて、その鰾形状をもとにした理論計算を行うとともに水槽内実測を行い、従来の方法では求められなかった体長に対するTS値を推定する式を導出した。本受賞者はこの分野で日本を代表する研究者として国際的な共同調査で活躍している。その研究はオキアミや沿岸のシラスや藻場などの音響生物計測にも展開されており、今後の発展が期待される。
渡邊 俊 氏 「ウナギ属魚類の分類に関する研究」
 近年、世界的に資源の減少が懸念されるウナギ属魚類の生態や分類については依然として不明な部分が多い。渡邊氏は、8カ国26地域に出向き、ウナギ属魚類全種の標本を採集し、これら信頼できる産地情報を備えたデータに基づき、古典的な形態分析による既存の分類体系を見直して問題点を明らかにし、70年ぶりに淡水ウナギの新種を発見記載した。また、遺伝マーカーによる分類法も併用してウナギ属魚類を15種にまとめるとともに、色素が未発達なシラスウナギやウナギ卵・レプトセファルスの同定にも使える分子遺伝学的同定法も併せて開発した。

水産学技術賞
宇藤(飯田)朋子氏・堀江則行氏「マアナゴの種苗生産技術に関する研究」
 近年、マアナゴ資源は減少傾向にあるが、その成熟機構や産卵生態に関する知見は極めて乏しいのが現状である。受賞者は飼育環境下でのマアナゴの性分化や配偶子形成などの成熟過程を詳細に解明し、さらに本種の人工孵化に世界で初めて成功した。特にホルモン投与によらず、水温を操作することで成熟・排卵の誘発に成功したことは特筆に値する。これらの成果はマアナゴの種苗生産への道を大きく切り拓くものである。
桑原浩一氏「クエン酸ナトリウムの多機能を応用したスルメイカからの 新規ねり製品製造技術の開発」
 スルメイカ筋肉には、塩の共存下で低温でも強力に作用するメタロプロテアーゼが含まれ、細砕中にミオシンを速やかに分解するため、スルメイカ肉のすり身化・ねり製品化は不可能とされ、その解決法が強く望まれていた。受賞者は、イカ筋肉タンパク質の生化学的特性を詳細に検討する中で、有機酸塩のもつ金属キレート作用がメタロプロテアーゼ阻害効果やミオシン溶解作用に有効であることを新たに見出し、食塩無添加の弾力性の高いイカ肉加熱ゲルの調製に成功した。受賞者の業績は、世界で初めて食品レベルでスルメイカ肉の自己消化を抑制する方法を見出し、スルメイカ肉のねり製品化技術を可能としたものであり、イカ加工業界の今後の発展に寄与するものである。
丸山 功氏「淡水産緑藻「クロレラ」の餌料生物用培養餌料としての開発」
 1970年代と今では、各地の海産魚の種苗生産施設の景色が大きく変わっている。1970年代には、当時は海産クロレラと呼ばれていたナンノクロロプシスの培養槽が施設の中の大きな面積を占めていた。現在では、ナンノクロロプシスの培養はまれであり、多くの施設で餌料生物としてのワムシの培養に淡水クロレラが使われている。このような変化をもたらしたのが丸山氏を中心とするグループの研究である。その内容は、淡水クロレラとナンノクロロプシスの栄養成分の違い、栄養強化法、大量培養技術など多岐にわたる。この基礎的技術の変化は、施設や労働力の有効利用に結び付き、種苗生産技術と種苗生産施設の管理運営に大きな変化をもたらした。
吉岡 武也氏「スルメイカの高鮮度保持・流通技術の開発」
 食品産業的にみた生鮮イカの最も重要な品質要因は鮮度であり、高鮮度スルメイカの生産・流通技術の開発が強く望まれていた。吉岡氏は、スルメイカの鮮度を生かした高付加価値利用を目的として、生鮮スルメイカを保管した際の鮮度の変化を詳細に調べ、さらに鮮度保持技術の開発に取り組み、出荷24〜36時間後においても特徴的な身の透明感や食感を良い状態で保持する技術を開発した。その過程で、生鮮イカの食品的品質評価法、冷蔵保管した際の品質変化の数値化や、品質保持に最適な致死条件、保管温度、酸素ガス環境などの技術開発を行った。これらの技術は、すでに生鮮イカの流通に活用されている。