平成24年6月19日

消費者の安全を守りながら福島県の漁業を再開することはできるか

八木信行 東京大学大学院農学生命科学研究科准教授
福島県地域漁業復興委員・日本水産学会東日本大震災災害復興支援検討委員

1. 震災前は若い漁業者が多くいた福島県の漁業
 日本の水産業は、1990年代頃から生産が急速に減少し、国内で消費される水産物の半数は輸入品で占められるようになっています。日本の水産物関税率が低い(平均税率4%)中で円高が進み、外国産水産物の輸入が拡大したこと、また、国際的に漁業管理が強化され200カイリ体制が確立したため日本漁船が外国漁場を失ったこと、加えて日本近海など多くの操業水域で漁業資源が減少したことなどが、その背景にあります。
 漁業は、国際競争の激化や燃油などの資材高騰のため収益は低迷し、就労者人口も全国的に減少しています。荒天時の海上で重労働が伴いますが、現在では、漁業者の過半数が60歳を超え、高齢化も深刻化しています。
 しかし、そのような中、震災前の福島の漁業は優等生でした。収益が上がる漁業経営がなされ、若い漁業者も多かったのです。福島の海岸線はほぼ直線です。そのため、漁業基地が徐々に集約され、震災前は小名浜地区と相馬双葉地区の2カ所に概ね拠点が形成されていました。つまり、経済競争の中で生き残った漁業者が効率的な操業を行う地域に集約されていたと見ることができます。
 生き残りの秘訣は、漁獲した後の魚を細心の注意を払ってハンドリングし、市場価値を上げていた点にあります。たとえば相馬双葉地区では、浜のかあさんが陸揚げ後の魚を丁寧に選別し、それを目利きできる仲買人が正当な値段で買い、その目利きを信頼する料理店や小売店がいて、そこをひいきにする客がいました。また、その仕組みを下支えしていたのが、海で操業する船頭や乗組員の高い技術でした。短い期間に効率的に漁獲する技術があったために禁漁日を多めに設定することが可能で、その分、水揚げがある日には浜のかあさん達が集中して丁寧な魚のハンドリングができるという好循環があったと私は見ています。これがもうかる漁業に繋がり、若い人も漁業に留まっていた理由でしょう。
 
2. 若い漁業者がいても魚を買う人がいなければ漁業は成立しない
 魚を買う人がいなければ漁業は成り立たない。そんな当たり前のことが、震災後、福島では更に強く意識されるようになりました。
 平成23年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故で、大気中に大量の放射性物質が放出され、加えてその後、原発施設内の高濃度汚染水が海中に流出されるという極めて憂慮すべき事態が生じました。福島県漁業協同組合連合会は、県内海域での漁業を全面的に停止し、同海域で漁獲された水産物は市場に流通しないよう対策をとりました。それまで優等生であった福島の漁業が、原発事故で一瞬にして崩壊したといっても過言ではありません。
 この6月で、それから1年3ヶ月が経過します。
 この間、漁業者は、東京電力からの補償金を受取り生活の糧としていました。しかし生業を奪われ将来の計画が立てられない、再び海に出たいにもかかわらずそれができないといった強い不満が広がっています。また、水産加工業者や仲買人などの流通業者には満足な補償がなされておらず、廃業したり県外に流出したりする業者も出始めました。
 「福島で漁業を再開しても魚を買う消費者はいないだろう。へたをすると国産の魚全てに風評被害が及ぶ。しかし、このままでは、福島では漁業だけでなく、関係する流通卸売業、食品小売業、外食産業といった福島沿岸の地域産業そのものが消えてしまう。いったいどうすればよいのか。」震災後は、そのようなジレンマに漁業者は頭を悩ませてきました。そして、どのような再開の方法があり得るのか、何回も関係者の間で議論されました。
 
3. セシウムを体にためにくい魚はいるのか
 漁業関係者などによる議論では、生物の種類によって、セシウムなどの放射性物質を体内にためやすいものとそうでないものがいる点も話題になりました。
 水や餌に含まれる放射性セシウムは、塩分やミネラルと同様に消化管などを介して魚体内に入ります。したがって水や餌のセシウム濃度が低ければ、海水魚でも淡水魚でもセシウム濃度は低くなります。今回の事故後に実施されたモニタリング調査でも、海域によって魚体内の放射性物質の濃度は異なる傾向があり、福島第一原発に近づくほど高くなること、また沿岸よりも沖合の方が低いことなどが分かっています。
 また、淡水魚と海水魚を比べると、海水魚の方がセシウムを排出しやすいことも知られています。淡水魚の場合は、周りの水(淡水)よりも体液の浸透圧が高いので、風呂で指の表面がふやけるように水が体に入ってきます。そして、体液の浸透圧を本来の状態に保つため、水分を尿として積極的に捨て、塩分・ミネラル分は積極的に取り込みます。この時にセシウムも一緒に取り込まれます。一方で、海水魚の場合は、周りの水(海水)よりも体液の浸透圧が低いので、塩もみした生野菜のように体から水が失われます。バランスを保つために、海水魚は、セシウムを含めた塩やミネラルを、エラなどから積極的に捨てるのです。
 更に、海に生息する生物の中でも、特にイカ、タコ、貝類などは、魚類よりも放射性セシウムの濃縮係数(生物体内に含まれるセシウム濃度を水中に含まれるセシウム濃度で割って得られた数字)が低いことが知られています。これは福島原発の事故以前から知られていた情報で、2004年に公表されたIAEAテクニカルレポート422号の26から66ページにも記載があります。
 今回の事故でも、モニタリング調査のために福島県の水域で採集した魚介類のうち、特にイカやタコなどは初期に放射性セシウムが検出されましたが、海水の放射能レベルが低下すると検出されなくなりました。平成24年1月1日から6月4日までの間に、福島県は、モニタリング調査で集めた福島県海域の魚介類を2,118検体分析し、そのうち505検体でキロあたり100ベクレル以上の放射性セシウムが検出されました。しかし、その調査では、イカ、タコの仲間は7ベクレルのものが1検体あったほかは、残り全て(約150検体)が検出限界値以下を示しました。なお、ここでいう検出限界値は、約15ベクレル/kg程度です。また、貝類でも、浅瀬にすむ性質がある二枚貝では109ベクレルと102ベクレルの検体がそれぞれ1つありましたが、そのほかの貝(約80検体)に100ベクレルを超える検体はありませんでした。
 ただし、一方で、シロメバル、マコガレイ、スズキ、アイナメなど、沿岸域にすむ多くの魚類からは、100ベクレルを超える放射性セシウムがいまでも検出されることが分かっています。
 
4. 被害の連鎖を防ぐことが第一
 今回の原発事故では、漁業関係者は被害者です。魚種によっては、放射性物質含有量の高い魚もいます。単純に漁業を再開させれば、今度は消費者に被害が及ぶかも知れません。漁業再開を優先させるあまり新しい被害者を作ってしまう、そのような被害の連鎖は、手を尽くして未然に防がなければなりません。
 福島県地域漁業復興委員会で毎月のように話し合った結果、6月12日の会合で、次のような条件の下で試験的に漁業操業を再開させようという結論になりました。
 ● ここまで書いた状況を理解してもらえる購買者に絞って販売すること(購買者向けの表示とトレーサビリティーを整備する)
 ● 放射性物質の検査を十分行うこと。また出荷先で基準値を超えたものが見つかる場合は全品回収すること(放射性物質の検査体制を整備する)。
 ● 漁獲対象を、タコの種類である「ヤナギダコ」と「ミズダコ」、また巻貝の「シライトマキバイ」の3種類に限ること(放射能汚染のリスクがないと思われる種類に限定)
 ● 9隻の船だけを使い沖合で漁獲し、それを相馬双葉漁協1カ所だけに水揚げをすること(水揚げ時の検査体制を確保)
 ● 購買者に対して情報を隠さず提供し、また購買者からの反応が生産者に伝わるように仕組みを整えること
 ● 定期的に計画を見直しすること

 繰り返しになりますが、今回の原発事故では、漁業関係者は被害者です。その漁業関係者が、魚の消費者に被害が及ぼさないように、細心の注意を払って計画をたてたつもりです。
 福島県小名浜の漁港に、いまは休業している鮮魚販売店があり、そこに「心まで汚染されてたまるか」と書かれた看板が立っています(左の写真)。誰が書いたのかは分かりませんが、この言葉を胸に、漁業を再開する際には被害の連鎖が起きないよう細心の注意をもって取り組んでいこうと福島の関係者は話し合っています。

5. 福島の漁業はどこに行くのか
 最後に、今回の試験操業を契機とした、福島県漁業の長期ビジョンについて触れておきましょう。
 いま、世界中で貴重な漁業資源が乱獲され、漁獲後も海から食卓まで全ての段階で投棄されることが問題となっています。これは、購買者が買うのかどうか分からないまま、とりあえず多種多様な種類とサイズの魚を大量に漁獲して店先に並べておくビジネススタイルにその一因があると私は見ています。
 問題の解決策は、あらかじめ消費者の消費動向を把握した上で漁業を行い、ムダのない操業を行いながら売れ残りのリスクを減らすことです。いままでそのような漁業を実現した場所はありませんが、福島で生き残ってきた漁業者の技術水準の高さから考えれば、選択的に魚を獲ることはある程度可能です。これに加えて、福島では、漁獲物の適切なハンドリングや流通・小売業者との連携でも豊富な経験を有しています。この技術を発展させて、新しいスタイルの漁業を今後成功させるポテンシャルを福島の漁業は持っていると私は考えます。
 つまり、具体的な注文を出してくる購買者を大切にして、資源を守りながら効率的な漁業を行う訳です。「魚を買う人がいなければ漁業は成り立たない」ということを、強く意識する新しいスタイルの漁業と言えるでしょう。
 新しいスタイルの漁業が成功すれば、世界に規範を示すことにもつながります。今回の試験的な漁業操業の再開が、このような長期ビジョンを達成する一歩となるよう、皆様のご理解が頂けないかと願っています。